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暇つぶしのお供に ホンダ裏話編

2025.05.10

こんにちわ、鏡山です!

このブログは、店内でお待ちのお客様やちょっとした隙間時間に見ていただいている方のために

ちょっとした隙間時間を少しでも楽しんでいただくコンテンツです!

それではどうぞ!

 

  1. 創業者・本田宗一郎は“中卒”で世界企業を築いた!?

本田宗一郎は正式な学歴は中学校卒。若い頃から整備士として働きながら腕を磨き、「夢に学歴は関係ない」を体現した人物です。自分の実力だけで世界の有名企業を築きました。

 

  1. F1参戦、社員に無断で決定!

ホンダがF1初参戦を決めたとき、本田宗一郎は技術者たちに相談もせず勝手に決めたそうです。社内では「無理だ!」という声も多かったけど、「挑戦なくして進化なし」が彼の信条でした。

 

  1. 四輪車よりも“発電機”や“バイク”で世界に出た

ホンダはもともと原付バイクのメーカーで、四輪車の販売は後発。特に発電機や芝刈り機、バイクで世界に進出し、「エンジン屋」としての信頼を勝ち取ったのが始まり。

 

【本田宗一郎の名言と破天荒なエピソード】

 

名言1:「チャレンジして失敗を恐れるよりも、何もしないことを恐れろ」

  • 本田宗一郎は「失敗」を恐れず、むしろ歓迎していた。開発が失敗しても「それは大きなデータだ」と言って、挑戦を止めさせなかった。

 

名言2:「1台のエンジンを作るのに100回失敗しても、次の1回で成功すればいい」

  • エンジン試作中、100回以上も失敗を繰り返すことも珍しくなかった。それでも「次がある」と常に前向きだった。

 

破天荒エピソード1:出社拒否!?技術者のために喧嘩

  • 自社の技術者が理不尽に責められると、社長である宗一郎が激怒して会議を蹴って帰ったことも。社員思いで、技術者の味方だった。

 

破天荒エピソード2:米国市場に「ノー広告」で挑戦

  • アメリカ市場にオートバイを輸出した当初、他社は派手な広告を打っていたが、本田宗一郎は「製品力で勝つ」と広告費を削った**。その結果、ホンダは“壊れにくい”という評判で自然に広まり、成功。

興味がある方は、しらべてみてくださいね♪

 

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